数週間前、岩手県の大槌町の仮設住宅の住民を対象にした調査に参加させていただいた。調査は3年続けられ、今年は2年目になる。様々な質問をした。
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仮設住宅の現状はどうか、どのように変わってきたか
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回答者は震災の時詳しくどこにいたか、そしてその後どう行動したのか
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収入源と仕事探しの優先性
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将来のお住まいの計画(大槌の町内、町外に住むか、高台へ移転する予定があるかなど)
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大槌町と自分自身の復興の程度
去年、40ヶ所の仮設住宅に住んでいる1300人ほどの住民が調査に参加した。大半は50代から70代で、3割は年金生活を送っていた。
私は富手さんという岩大の大学生と組んで、ほとんどの場合聞いて自分の為のノートを取るという役割だった。富手さんが質問を聞いて、時には自分は拡大してプリントアウトされた選択肢を回答者の前に持ち上げた。聞いて、理解して、ノートを取ることに集中出来たのは富手さんのお陰で、四日間外国人と付き合ってと言われても陽気に振る舞ってくれたことは本当に感謝している。
綺麗で不便な土地
大槌の仮設住宅は綺麗な所にあるのを見てホッとした。素敵な田舎で山と森と畑に囲まれた仮設住宅で野鳥の鳴き声を聞いたり、小さなカエルがあちこち這うのを見たりした。仮設住宅の住民もいい所に住んでいると言う人もいた。
「時々夜に星を見ています。ここはいい所ですよ。ウグイスもキジも鳴きます。」
「お父さんが外で椅子に座ってホタルを探しますよ。この辺ホタルが出ますから。」
しかし、綺麗な所だと言っても辺鄙で不便でもよく言える。国道と店から離れていた所で、よく普通の道路から逸れる長くて細い道を通らなければならない。車があっても不便で、運転免許がない場合は更に不便。ある住宅団地は店があったが、あくまで「ある」団地だけで皆あるとは限らない。
「交通は不便ですね。近くに郵便局もなくて、郵便局に行くのは10分もかかります。店も欲しいですね。」
「町が欲しいです! 病院とか、店とか。」
「歯医者さんは混んでいますよ。3時間も待ちました。」
「店が近くにないので、店が欲しいですね。移動店舗が来るのですが。
冬になると内陸に行くのは大変です。電車は復旧して欲しいです。」
当たりか外れか
たくさんの事が仮設団地によって違うと思えた。違う仮設団地でも追いたきが設置されたと言う人が多かったが、店があるかどうか、物置が設置されたかどうか、部屋の数などは仮設団地によって違っていた。一カ所には共用の庭があって、もう一カ所に子供の遊び場があった。ある仮設団地は洪水が問題になっている一方で問題になっていない団地もあった。
「ここは長く住めないですよ。洪水が心配です。ここは低くて、排水が悪いです。」
「大雨になる時は洪水が心配です。最近の大雨で水が家の中まで入っていた住宅もありました。」
「ここは物置も追いたきも設置されました。」
「ここで物置を建てることになっているのですが、それはいつか、どんな物なのか分かりません。」
仮設団地での共通の点は夏に暑くて、冬に寒くて、狭いことだった。持ち物を納めるスペースがなくて、部屋の数も足りない。
近所の関係は一般に良いが、地元の繋がりが薄くなってしまう
多くのインタビューで近所の人についていいことを言っていた。近所の人と編み物などのサークルに参加したり、食事を作ったりをしている人もいた。年配の女性は特にお茶っこサロンを高く評価した。
二人の回答者は震災が人々にいい影響を与えたと言っていた。震災の前はあまり挨拶していなかったが今は皆挨拶しあっている、と。
とは言っても、私たちと話してくれた皆が震災の後、地元の人との繋がりが薄くなってきたと回答した。その一人の女性が未だに「子供の世話をしてくれた近所のおばあさんの行方を探していて」という。子供さんも女性もおばあさんにとても会いたいと言うが個人的な情報のため安否確認しか出来なくて、住所も居場所も教えてもらえない。
政府の言うことが信じがたい
政府に言われていることは何回も変わってしまう傾向があったみたい。物事をもっと平等にする対策は時にうまくいったが、時に成果が出ない。去年の回答を読んでいると避難所ですでに不平等な扱い方を経験してしまった人もいた。ある大槌の避難所で物資を管理している人が自分の欲しい物をとって残りを一般人に配布したらしい。
仮設団地に住んでいる人と話していると、政府などに言われている事が疑い深くて、あまり信用出来ないという態度だった。「これを与えるとは言っているが、本当はどうなるかな?」「こうして欲しいが、それはいつになると実現する?生きているうちに?」
「棚がないと置く場所がないですから棚が欲しいです。でも、棚を建ててはいけないと最初は言っていました。その後、棚を作ってもよくなりましたが私も旦那さんも仕事で疲れて棚を作る元気がありません!」
「まず家を元の場所で再建してもいいと言われました。その後高台にすれば再建してもいいと言われました。結局中止になって、再建出来なくなりました。」
「洗濯物の干場に小さい屋根を設置しましたが、短くてあまり意味ないですよ!」
「駐車所で少しトラブルがありました。始めから住んでいる人は私用の駐車スペースで駐車しましたが、新しく引っ越してきた人が他にスペースがないので個人用のに駐車してしまいました。もう解決していますが。」
「皆が誰かを亡くしています」
去年の調査で「親戚の方を亡くしたか」という質問があって、4分の1が親戚が亡くなった、または行方不明になったと答えた。10%以上がゲガした。そして、40%弱が精神的な衝撃を受けてしまって元の生活に戻れないと回答した。
今年の調査は同じ質問がもう一度出なかったが、話の流れで誰かを亡くしていると言う人が多かった。兄弟、おじさんかおばさん、姪か甥、いとこ、両親。ご主人(さん)を亡くしている人にも会った。
「友達が皆流された。息子も亡くしています。」
「この辺は(仮設団地で)皆誰かを亡くしています。」
「前より改善したか、悪化したか? 今は前より悪くなったと思います。去年は危機状態で生きることに精一杯でした。今はもう話す相手がいなくて、よく眠れないです。前は仕事をしていましたが高血圧のため休息しています。」
「夜中に目が開いてしまいます。」
恋しい
調査に参加して一番圧倒的な印象は「恋しい」という言葉だった。本物の家が恋しい。家族と友達が恋しい。故郷の大槌が恋しい。
一生ずっと大槌に住んできた人、結婚してからずっと大槌に住んでいた人も多かった。
年金生活を送っているお年寄りは家のローンを払える収入もなくて、将来は公営住宅に引っ越すしかないが、いつ住めるようになるか、または可能になった時に自分は生きているか?という問題を抱いていた。
「何がどこにあったかもう分かりません。全て取り壊されています。道のレンガを見てやっと分かります。「あ、ここにあったか」、と。」
「家を新しくリフォームしたのに、流されました!」
「家が欲しいです!ここら辺の家は皆そっくり。間違って他の家を自分のだと思ってしまいますよ!それは、歳のせいかもしれませんが。」
一般に2人の家族に2部屋、3人の家族に3部屋と言う決まりだったみたいが、そうすると祝日などに子供や孫が泊まる余裕がない。娘さんが泊まりに来る時に部屋がないことによってお父さんが外で車で寝ると言う家族に会った。
「私は一人暮らしですが、偶然この仮設住宅に入って2部屋の所に住んでいます。娘が来る時はもう一つの部屋に泊まれるからいいです。」
「子供が泊まるスペースがないので、電話とメールで連絡を取っています。」
この人たちのお家と家族と故郷の話を聞くのが自分の人生を思わせた。自分の新しいアパートと新しい物を持つこと、新しい町で友達と繋がりを作ることはなんてわくわくするのか、と。二人で将来の計画を立て始めることも。
家族からすごく遠く離れた所に住むのは寂しいが、帰る時はなんと懐かしく心値よいのか。古びたソファに座ったり、年を取った猫を撫でたり、冷蔵庫から何か出して食べたり。シルバートンで散歩して、コーヒとベーグルの食事をとって,教会と壁画と見て。
もし、もう戻れないとしたらどうなる?
「戻りたい人がたくさんいますよ。」
「祭りをやって欲しいです。祭りから元気もらうし、子供が帰りますから。」
「私自身の復興は0−20%で、大槌の復興も0−20%だと思います。大槌が大好きです。」
「大槌は本当にどれくらい復興するか分かりません。」
「友達で盛岡とか遠野とかに住むようになって、「遠野に住めば? 一緒に盛岡に来て!」と誘われますが、遠野に住みたくないです。盛岡に住みたくないです。大槌に住みたい。」
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